読切小説
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紅茶が冷えていく間に
「わたしのこと、嫌いになってほしい」
泣き崩れる苑子に向かってあたしは言った。
泣いてはいけない。表情も動かしてはいけない。
差し伸べたくなる手をぐっと握って沈黙を耐えた。
「いやだぁ」
涙にまみれてぐちゃぐちゃの苑子の声がそういった。わたしを求める、悲痛な声。差し伸べられる手を待って、嘆願するかのごとく苦しげな響きをしている。
言うことはこれ以上なかった。
わたしにもどうしようもなかった。好きな人が変ってしまったのだ。苑子は好きだがもうそれは恋愛ではない。抱きたいと思わないし、かわいらしいわがままを聞くのも嫌になってしまった。
だけど、嫌いになったわけじゃない。
それが、わたしたちのこのやりとりをより難しい出来事にしているように思えた。
一番にあいたい人がいて胸を痛めるくらい思い焦がれ抱きしめたいと願っていても、三年半好きだとささやきあい手をつなぎ合い一緒に眠り夢を語った恋人を大事だと思う気持ちは余るほどあった。
苑子が風邪をひけば心配になるだろうし、仕事で昇進すれば祝ってあげたいし、泣いていれば抱きしめてあげたいのだ。
だけど、今泣いている苑子を抱きしめることはわたしにとっても、苑子にとっても、わたしが好きになって思い焦がれている人にとっても、とても残酷なことになってしまうだろう。
彼女は苑子と私が別れるまで、待つといった。いつまででも待っていると。
でも、いつまででも待たせることはできず、彼女と思い合い抱き合いたいエゴイストのわたしはその言葉を聞いた次の日にはこうして苑子に別れを告げに来てしまった。
でも、久しぶりに会うわたしにうれしそうに笑い、わたしが話があるといっただけで目を見開き涙をためた勘のいい苑子を眼球に写した瞬間に、わたしは自分がわが身かわいさに人を傷つけるエゴイストであることを思い知った。
そして、流れる苑子の涙をみながら別れたいとだけ告げ、沈黙に耐えきれず嫌いになってほしい、と言ったのだった。
わたしが手を差し伸べる前に、またはもっと深く傷つける前に、わたしを嫌いになってほしいと思った。

もう、誕生日を祝ってあげれない。
もう、眠れない夜に抱きしめてあげれない。
もう、寝起きに紅茶をいれてあげれない。
だけど、わかってほしい。あなたを大事に思っている。

心の中で懺悔のように叫びながらわたしは沈黙を守った。
優しくしたくない。苑子はそういう優しさにただひたすら思いを寄せ手に入れようと必死になる女なのだ。
そして、一度苑子が必死に手を伸ばせばわたしはもう別れようとはいえなくなるだろう。
夢見ていた彼女へ向ける睦言は闇に葬り去られるのだ。

大事だと思う女と、愛しいと思う女が違うというのはなんて残酷なことなのだろうか。

それこそがまさしくエゴの産物のいいわけかもしれないと苦く思いながらわたしは詰めていた息を吸った。
「苑子、もう苑子に愛情を感じないんだ」
ごめん、ごめんなさい。そう思いながら冷たい声で言い放った。
小さな背中を丸めた苑子は、その言葉を聞いていっそ近所迷惑なほどのわめき声をあげいやだ、いやだと懇願した。
わたしは苑子の思いの深さをさらに突きつけられ、空恐ろしくなった。
このままでは苑子は声が潰れてしまうのではないだろうか。一晩中でも泣き続けるのではないだろうか、わたしの思い人を傷つけようとするのではないだろうか。
耐えきれなくなったわたしは立ち上がり、玄関へ向かい、ドアを開け、寒空の下へ飛び出した。
驚くことに、苑子は追いかけてはこなかった。
代わりに悲鳴のように私の名前を呼ぶ声だけが耳に残ったままだった。
その足で愛しの人に会いに行くことはできず、適当にたどりついたカフェに入った。
紅茶を頼み、あわただしくお金を払い、隅っこの席に座りわたしはただ震えるだけだった。
まるで苑子がわたしのぶんも涙を流したかのように、わたしの目からは一滴の涙も出なかった。
ぐちゃぐちゃといろんな思いが渦巻いて頭が痛くなった。
こめかみに指をあてる。冷たい指が心地いい。

冷めていく紅茶を眺めていよう。ただずっと、このカフェが閉店するまで。

今わたしが誰のことを想ったらいいのかわからなくなってしまうから。
10/10/10 19:06更新 / 文月美弥

■作者メッセージ
ありがちなワンシーンを書いてみたかった的な作品です。

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まろやか投稿小説 Ver1.30